2013年4月14日日曜日

広島を訪ねる(その1)

学会が広島で開かれたので、参加してきた。瀬戸内にしては天気があまりよくなかったのが残念だった。初日こそ晴れて咲き始めた桜などを楽しむ余裕もあったが(驚いたことに東京より開花が遅いらしい)、その翌日は終日雨となって、ズボンの裾がびしょ濡れになったり、論文に雨の滴の染みが残ったりと、惨めな状態になった。それでも、共同研究者と議論したり、おもしろそうなセッションに出向いて質問したりと、物理学者として有意義な時間を久しぶりに過ごすことができて満足した。そして、その合間を縫って、放射線量等の測定を行った。

言うまでもなく、広島は原爆が炸裂した街だ。その影響は100年残るとか、草木はもう生えないだろうとか、いろいろなことが当初は言われたという。ところが、60年代に大阪で万博が開かれた頃になると、街は「復興」し、原発を歓迎するような雰囲気にまでなっていたらしい。つまり、一見して放射能の影響はなかったかのように、広島の街は再興した。外国人にも「広島の放射能汚染は今はどうなのか?」と聞かれることがあるし、自分自身も子供の時にまったく同じ疑問をもった。高校の修学旅行で広島に初めて行ったときに聞いたのが、「今でも河原に落ちている屋根瓦の破片などが放射能を示すことがある」という伝聞情報だった。若干の汚染は残っていても、もう大丈夫なんだ、という感触を得たのを覚えている。今振り返ってみると、正直言ってこの修学旅行は「ボケ茄子」以外のなにものでもなかったと思う。広島の博物館や記念館は、写真や絵を使って恐怖だけを植え付けようとするだけで、放射能汚染や核兵器の科学的な説明と、それにもとづいた怖さに関する情報が決定的に不足している。長崎でも同じ感想をもった。そして、同じような感想を英国人の友人達(物理学者)も語っていた。

まず、目から鱗が落ちたのが、日本地質学会の自然放射能強度の分布図を見たときだ。関西のバックグランドレベルが高いことは、昨年の六甲探訪の時に確認したし、同僚から「岡山辺りが結構高い」という話を聞いていたので、知っていたのだが、まさか広島がそれを上回る高レベルにあるとは知らなかった。今まで調べなかったのは、迂闊だった。
広島周辺の自然放射線量の分布図。
赤い領域は0.13μSv/h以上に相当する地域。
東広島から広島、そして岩国に至るまで広い範囲に高線量地帯が広がる。
これらは花崗岩の分布と一致する。
この分布図を見ると、修学旅行の時に聞いた「広島の河原ではガイガーカウンターが今でも激しく鳴る」という話を、原爆の影響が残っている証拠だとそのまま鵜呑みに思ってはいけないことがわかる。広島のバックグランドレベルが高いことの影響かもしれないからだ。やはりαにせよ、γにせよ、スペクトル分析しないと結論は出せない。

学会は広島大学の東広島キャンパスで行われたので、まず広島の東側の調査から始めた

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