2012年12月17日月曜日

静岡市のセシウム汚染

静岡市のお茶や柑橘類がセシウムで汚染されていることは既にいろいろな場所で報告されている(その程度は、平均的にはかなり弱いが、時折高い汚染が見られるときもある)。たとえば、静岡放射能汚染測定室報告書(第8号、2012.3.3発行)によると、2011年5月5日に静岡市葵区で収穫された緑茶は放射性セシウムが合計で428ベクレル/キロの値を示している。(この測定所は京大の河野さんと共同研究を行っている。通常はNaIシンチレータを使用して測定を行っているが、時折京大のゲルマニウム測定器を用いて較正しているらしいので、発表している結果の信頼度はかなり高いと思われる。)厚生労働省の発表しているデータをみても、静岡市のお茶は、平均してだいたい2 Bq/kg未満の汚染があることが見て取れる。その他、静岡市のミカンやユズなどからも、弱いセシウム汚染が検出されている。

この事実からして、放射性セシウム、すなわち「死の灰」のプルームは、箱根を突破して、東海地方まで広がってしまったことは確実だ。そのセシウム汚染の程度は、土壌汚染を調べればわかる。今までにいろいろな地点で測定しているので、比較することでプルームがどのように、そしてどこまで広がったのか、検証することができる。実は、静岡放射能汚染測定室では土壌の測定を実施したらしいが、データが公開されていないため、結果を確かめることができない。
関東平野、伊豆半島、富士山、そして静岡市の位置関係
去る夏の終わり、仕事で静岡市を訪ねる機会があった。あのときは、まさか静岡市までセシウムが来ているとは思わなかったので、あまりまじめに土壌調査をしようと思わなかった。せっかくの機会だったが、駿府城と八幡山頂、そして登呂遺跡の3地点のみの調査しかやらなかった。また、汚染はないだろうと思い込んでいたので、土壌の放射能測定の優先順位を下げていた。そのため、ついこの間まで測定せずに放っておいた。それだけに、今回の測定でセシウムのピークがクッキリ浮かび上がったことに、非常に驚いてしまった。

静岡市は太平洋に面しているけれど、駅から浜辺までは結構離れている。歩いていくと1時間以上かかってしまうが、バスが結構便利なのでうまく利用するとよい。東には日本平や東照宮のある久能山があり、ちょっとした山地を形成している。南向きの斜面は冬でも温暖で、石垣イチゴが有名だ。(いちど食べ放題に行ってみた事があるが、ハエが多くて衛生上の問題があるような気もしたのだが、静岡の人たちはあまり気にしてないようだ。)ロープウェイがあるので、久能山の長い石段を登らずとも、手軽に山頂から臨む太平洋の景色を楽しむこともできる。

市内は平坦だが、周辺は山に囲まれていて、夏に行くと遠景の緑がきれいだ。ただ、街はコンクリートに覆われていて自然は少なく、開発が進んで高いビルも多い。飲屋街が縦横に伸びていて夜は騒がしいが、他の地域よりも景気がいい印なのかもしれない。この平坦地は新幹線で南北に分断されていて、さらに東海道や東名高速などによって更に南北に分けられる。

静岡市とその周辺の地形
そんなのっぺりした地形の中、静岡駅の近くで新幹線の南方向の窓から見ると、大きめの丘(小山?)が平野から立ち上がっているのが特に目立つ。八幡山と呼ばれる山だ。地元の住民何人かに「あの山はなにか不思議な感じがしますが、市民にとってのシンボルだとか、憩いの場所だとか、かつての古墳の跡だとか、なにか特別な意味があるのでしょうか?」と尋ねてみた。しかし、どの人も「さあね」と答えるばかり。個人的には、謎が深まり興味が湧いてきた。高台と平野の汚染の違いも比較出来ると考え、訪ねてみる事にした。
駿府城、八幡山、そして登呂遺跡の位置関係
まずは、静岡市のある平野の代表地点として、駿府城(静岡市葵区)の調査から始めることにした。この地点の汚染の度合いは、静岡市全体を代表しているはずだ。

駿府城は、徳川家康が隠居してから居城として使った城で、江戸で将軍を勤めていた息子秀忠の黒幕となって、引退してからも自分の作った幕府に対し、静岡の地から影響力を行使したらしい。家康が睨みを効かせていたおかげで、静岡は経済的にもずいぶん繁栄したようだ。久能山のイチゴ農家がちょっと高飛車なのも、「殿様商売」の影響が残っているのかもしれぬ。「ハエが嫌なら帰ってもらって結構」ってなわけだ。

夏の陽光は強かったものの、東京よりも涼しく過ごしやすい。海風のせいなんだろうか?とても気持ちのよい場所だった。街中はコンクリートに覆われてあまりよい風景とはいえないが、城門から遠くに見えた山の緑が気持ちよかった。やはり、城のある街はいい雰囲気がある。
駿府城の入り口。明治政府に破壊されたものを、
最近になってから復元したもの。
門をくぐると、中は広場になっている。日本庭園もあるが、これは後から付け足したもので、歴史的にはあまり意味はないようだ。真ん中に大きな池があって、その周りを散策できる。とてもよい庭園だと思う。

さて、調査は城内の桜林らしきところで行う。空間線量を測り、カラカラに乾燥した土を採取した。空間線量の測定結果は、地表で0.08-0.10μSv/h程度。ちょっと高いような気がした。東京で汚染の「低い」場所と似たような値だったからだ。
城の中の桜(?)林にて、調査を行う。
空間線量は地表で、0.08μSv/hだった。
ちと高めだな、と思った。
最初で述べたように、この土壌は最近まで放っておいたのだが、この間ベクミルで測定してきた。その結果は93.93 Bq/kgとなった。値自体は低いものの、セシウムのピークがはっきりわかるスペクトルとなった。セシウムの「死の灰」は、思ったよりも濃い濃度で、静岡市まで到達していたのだ。
駿府城の土壌の放射能
矢印がセシウムのピーク(左よりCs-134, Cs-137, Cs-134)。
1550keV近くのピークはK-40(天然の放射性物質)のもの。

静岡の名産といえば、茶と蜜柑だ。キノコやタケノコと並んで、この農産物はセシウムをよく濃縮する。つまり、大地自体の汚染が弱くても、自らセシウムをかき集めて汚染を強くしてしまう傾向が強い。すなわち、「移行係数」が高いのだ。これは、静岡にとって本当に不幸だったと思う。汚染が弱くて済んだのに、その主力農産物が汚染を悪化させてしまうからだ。もし、静岡のお茶や蜜柑の売れ行きが落ちているなら、ためらう事無く東京電力や政府に賠償請求すべきだろう。蜜柑やお茶は、私が思うに、「静岡の名産」というよりも「日本の特産品」と呼ぶべき農産物だと思う。だからこそ、静岡の大地がセシウムに汚染されたことは、大きな驚きであり、悲しい事実だ。

追記:あとで別の方がすでに土壌測定をし、その結果を公開していることを知った。3地点で測定している。一番高かったのは、静岡市大坪町という場所の公園の土で、94.1Bq/kg (LB2045で20分測定)。3つのセシウムピークもクッキリ見える。これは、今回の駿府城の結果とよく似ている。また、その他の2地点は10 Bq/kg前後で、検出限界ギリギリ。スペクトルにピークらしき構造は見えるようなみえないような。こちらは、静岡放射能汚染測定室で測定とのこと。


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