2012年4月19日木曜日

森泉山の土壌γ線スペクトル

ベクミルのLB2045を用いて、森泉山の3地点で採集した土壌を計測し、それぞれのγ線スペクトルを得る事ができた。予想通り、地点C、すなわち山頂にある弁天池の汚染は凄まじいものがあった。まずはその結果から。
森泉山の地点C
ベクミルの店長に「久しぶりに見た」と言わせた驚愕の一万ベクレル/キロ越えとなった。この数字だけみれば、松戸や福島県の本宮市の結果をも越えてしまっている。(注意:でもこの数字はあまり当てにならない。数字だけにあまり踊らされないように気をつけられたし。大切なのはスペクトルの形であり、その高さだからだ。結論を急がず、下の文章を読んでもらいたい。)

しかし、スペクトルを重ねて見ると、この千葉松戸、福島本宮、そして信州御代田の森泉山山頂のセシウム汚染は同程度であることがわかる。特に、弁天池と福島本宮のスペクトルの形は瓜二つで、相似なことに気付くであろう。ちなみに、福島本宮の土の放射能は4681 Bq/kg、千葉松戸は4524 Bq/kgだった。やはり、ベクレルの算出にはアルゴリズムの不定性があるのではないだろうか?数字で比較するより、スペクトルの高さで比較した方が意味があるように思える。よって、この程度の汚染を「レベルAの汚染」と呼ぶこととしよう。だいたい、5000 Bq/kgから10000Bq/kg程度の放射能汚染に相当すると思えばよい。

スペクトルを重ねて比較。
千葉松戸、福島本宮、そして森泉山弁天池の3つに比べれば、東大の汚染は半分ほど。(これをレベルBと呼ぼう。)京都清水寺のスペクトルは真っ平らに見える(レベルNと呼ぶ事にしよう)。「汚染が無い」ということの意味、そして「セシウム汚染された場所」ということの意味は、ベクレル数を細かく気にするよりも、スペクトルの形を見た時、はっきりするのである。

森泉山のその他の地点はどうだったかというと、中腹にあった地点B(線量はJB4020で0.19μSv/h)は420.6 Bq/kgで、だいたい皇居北の丸と同程度のセシウム汚染となった。面白い事に、線量が0.13μSv/hだった東大本郷よりもセシウム汚染の度合いは弱い(東大本郷は1961 Bq/kgだった)。これは、都心部は土壌のみにセシウムが沈着して線量増加に寄与しているのに対し、山林では土壌だけでなく森全体にセシウムが沈着しているからではないだろうか?

森林の土壌汚染は都市部のそれよりも弱いというのは「いいニュース」のように聞こえるが、それは森林の除染をするときは、土壌だけでは済まないということも同時に意味する。つまり、土を剥いだだけでは線量は下がらず、木を切り、草を抜き取り、岩をどかす必要もあるということだ。これは、山自体を破壊することに他ならないから、私の仮説が正しいとすれば、森林や山岳地帯の除染は事実上「不可能」ということになるだろう。

一方、自然破壊の進んだ都市部では、コンクリやアスファルトにはセシウムは沈着しにくく、また木や草もほとんどないから、セシウムのほとんどは土壌に張り付いて汚染を引き起こしたという予想が立つ。これは逆に、土さえ除去すればかなり線量は落ちるということを意味するかもしれないが、土壌だけに沈着した放射性セシウムが線量に寄与する割合はそれほど大きくないから、除染するところまでは線量が上がらない。とうことは、セシウムのほとんどが、水に流れて川や海に散っていってしまった可能性が高い、という事の方がより深刻な問題になるだろう。

信州より東京の方がセシウムの降下量が少なかったなんてことは、福島からの距離を考えれば、まずありえない。ということは、森泉山を汚染した強い汚染に相当する放射性セシウムは、東京の場合、海へと流れ込んでいった。おかげで、都市部自体の線量は抑えられたものの、海の汚染を非常に深刻なものにしてしまった...などと考えるのが自然だろう。

森泉山の測定に戻ろう。地点A、つまり、文科省の測定で線量が0.1μSv/h(私の測定でも0.1μSv/h)で、汚染が無いあるいは軽微だと思われる場所で採集した土壌の放射能汚染は132.6 Bq/kgとなった。スペクトルをみると微かにセシウム三兄弟の構造が見え隠れしている。つまり、御代田の山地帯は、佐久平の中心部(千曲川流域)と異なり、明らかにセシウム汚染があるということだ。ただし、その汚染具合は弱い。

佐久平の場合には、LB2045の性能の範囲内ではセシウム汚染は無く、より高性能なゲルマなどで測定したら汚染があるかもしれないし、無いかもしれないという程度の汚染レベルだった。ということは、おそらく、御代田と佐久平の間に「汚染の境界」があるはずだ。地理的にいって、たぶんパラダスキー場の辺りにそれはありそうな気がする。より広範囲な調査がさらに必要だと思う。

0 件のコメント: