2011年2月11日金曜日

予言:携帯電話はなくなる

一年ほど前、英国から帰国して久しぶりに中学—高校時代の友人にお茶の水で会った。そのとき、「携帯をもってない奴と待ち合わせしたのは、何年ぶりだろうか?日本に帰って来たんだから、お前も早く買って、みんなに追いつけ。」と言われた。

待ち合わせの仕方(1980年代から1990年代まで):駅の特徴ある場所で、時間を決めて集まる。例えば、仙台なら「国分町の水時計前に7:00」とか。(まだ水時計はあるんだろうか?)

待ち合わせの仕方(2000年以降):携帯をかけて「いまどこ?モヤイの前?あっそう。あと2分でそっちへいくから。」などとする(らしい)。

最初に携帯らしきものを買ったのは1996年頃で、あえてPHSを選んだ。PHSの使える範囲は都市の中心部に限られていたが、大学周辺(渋谷区や目黒区)で使うだけだし、いわゆる携帯電話は料金が高いから嫌いだった。

私がPHSを買ったことを知った、どちらかというと保守的な私の家族は「そんな新しいものに飛びついて。お金の無駄使いじゃない?」などと私のことを馬鹿にした。が、私の使い方を見ているうちに、彼らもその便利さに気づきだす。

最初のPHSが壊れて「もう次は要らないかな。」といったら、家族の反応は「それは困る」だった。電子メールやインターネットが民間に導入されたのも、この頃だったが、やっぱり最初は馬鹿にするものの、私の使い方を見て学んでは、すぐに新しいテクノロジーにのめり込んだ。(ちなみに、携帯でメールする意味が未だに私にはわからない。そもそものメールの利点は「つかまらないこと/じゃまされないこと」だったからだ。)

英国に住んでいた頃は、pay-as-you-go,つまり日本語でいうところのプリペイド携帯を家族が購入したが、私は使わなかった。英国も携帯電話の料金は高かったし、日本の携帯に比べると一世代遅れた感じで買う気がしなかった。(最後にiPhoneがやってきたが、間もなくして日本に戻ることになった。)結局、英国に住んでいた10年間に、携帯嫌いが加速した。

昔の友人とお茶の水で酒を飲みながら、携帯の素晴らしさ、いかに日本の携帯事情が「進化」したかなどについて講義を受けながらも、私は反論した。「携帯の時代はもうすぐ終わるよ。かならず無料の公共無線LANの時代が来るはず」と。

あれから一年余り経つが、まず私の予言があたり始めたと感じたのは、日本の携帯が斜陽しはじめたことだ。i-modeとか、最近話題にならないじゃないか!友人が褒めちぎっていた日本のi-modeはiPhoneアプリの前に敗れつつある(既に敗れた?)。さらに、iPhoneと似たWirelessのiPod touchが出た。iPadにもwireless版がある。Steve Jobsはたぶん私と同じことを考えているんだと思う:もうすぐ携帯電話は無線LANにとって代わられる、と。

今日のNew York Timesにアメリカの公共無線LANネットワークについての報道があった。これは、まさに私(やジョブズ....)が考えている未来の方向性であると、密かに自信を持ったのであった。

ちなみに、潰れそうになりながらも、なんとか踏ん張っているPHSだが、最近料金が安くなったり、他会社にかけても一定時間は無料とか、いろいろ面白いサービスをやりだした。平成23年度の「新規事業」として、PHSに復帰するのも悪くないかも、と思っている。英国にいた頃は、携帯Skypeに興味があった。あれから2年ほど経つし、どの程度進化したか、ちょっと調べて比べてみようかと思い始めている。(外国人の友人はしつこくSkypeを使えと言ってくるが、まだちょっと面倒なので、よほどのことがない限り使わないようにしている。)

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