2010年6月5日土曜日

「可変思考」を読む

広中平祐の随筆を読んでみた。書泉のレジ横になぜか積み上げてあったので、思わず買ってしまった。よくみると、初出は1987年である。(ちょっとだまされた...) 確かにかなり古い内容も多く含まれていた。

高校のとき、彼の別の著作「生きること、学ぶ事」という題の、似たような内容の本を読んだ。確か母に買ってもらったんだと思う。この後、本人が講演に来たので高校の授業をずる休みして聞きに行ったこともある。東京の予備校の寮に住んでいたころも、近くの古本屋でいくつか彼の書いた数学の啓蒙書を買ったりもした。しばらく「広中平祐」にはまった、ということなんだろう。いまでも、覚えているのがフィボナッチ数列を例に、花びらの枚数やカタツムリの殻の巻き方、など自然界に現れる数(数列)を解説した話だ。最初に読んだときは、本当に衝撃的だった。

さて、20年ぶりに「広中」本を読んでみたのだが、もう既に彼の言わんとしていることは吸い取ったな、という感じである。たとえば、『アメリカの学生はwhatの質問が多いが、日本の学生はwhyが多い」という彼の指摘は、常に頭の中に入っている。大学に合格して以来,この言葉を参考に質問を組み立てるよう努力してきた。しかし、アメリカに1年留学したり、イギリスで10年近く教えたりしたが、学生たちがwhatの質問しかしなかったか、というと、そういう訳でもなかったと思う。whyの質問も結構受けた。アメリカでの経験は「遠き昔になりにけり」なので比較できないが、最近のイギリスと日本の学生の違いを簡単に挙げてみると、それは、ジョークに反応するか、および居眠りするかどうか、あたりで顕著だ。英国の学生は(yes,no)となるが、日本はその反対の(no,yes)である。とはいえ、今教えている日本の学生たちは、だんだんイギリスの学生のようなレスポンスを返すようになってきたので、二国間の違いといっても、それは教える方のスタイルに責任がありそうである。

つまり、広中先生の言っている事はだいたい正しいとは思うが,自分なりの解釈もできるようになった、という意味では、「広中平祐」は卒業できたんじゃないか、と思う。

私みたいなのよりも、この本は、むしろ高校生や、大学生にお勧めしたい。あの時と私と同じ様に、ガツンと感じ取れるものがかならずあるはずだ。それから、「可変思考」ということなので、頭の固くなりたくない人ならまあ誰でも楽しめるかもしれない。ただ、時代設定がかなり古い感じがするので、そこは受け入れられないかも。例えば,日本の学生たちは、もう丸暗記でなんでも突破しようなんて思ってないような気がする。とはいえ、数学者ならではの独特の思考の仕方は感心する。問題が解けないときは、次元を上げて考えよ、というアドバイスは、まさに「広中理論」だと思う。これは誰でも肝に銘ずべき言葉だろう。

2 件のコメント:

kuzzila さんのコメント...

このところ、学生からの質問が増えてきた。なかなかよい質問もある。「どうして」タイプの質問はなく、「何?」タイプの質問がほとんどだ。そういう意味では、日本の学生も、かつてのアメリカの学生のような考え方になってきたんだと思う。ただし、それがいいかどうかは別問題だが。

kuzzila さんのコメント...

そういえば、フィボナッチ数列と花びらの枚数の関係が書いてあった本を、その昔,予備校の友達に貸した。今、彼は数理生物学の研究者として偉くなっている。影響があったんだろうか、とふと思った次第。