2008年12月29日月曜日

Bracklesham Bay


HampshireのBracklesham Bayの海岸へ行く。曇り空が広がり肌寒い一日だったが、不思議な事に英国海峡の上だけぽっかりと穴が開いていた。斜めに差し込む光線のせいで、おもしろい風景が広がっていた。

2008年12月28日日曜日

帰国

英国の大学でパーマネントのlecturerになって7年ほど。長いようでいて、短かったというべきか。毎日、その日暮らしでなんとか乗り切ってきて、気がついたらそれだけの年月が経っていた、というのが正直な感想。英国の永住許可証をとってしまったりしたが、この国で墓に入る気にはちょっとなれない。理由はいろいろあるが、やはり文化の違いが大きい。(といっても、長い歴史や、文芸などに裏打ちされた、狭義の「文化」には共感できる点もあるが。)

メルギブソンの映画で、ずる賢いイングランド人、というシーンがあるが、ちょっと苦笑いしてしまうイギリス人はいるのではないだろうか?もちろん、イングランド人だって、なかには情深く、おもいやりのある人もいる。しかし、気になるのは、年配のイギリス人が口をそろえて指摘する、最近の「合理化」や「拝金主義」が英国人の精神を駄目にしてしまった、という言葉だ。これは、間接的にマギーサッチャーによってイギリスは壊れた、ということだ。この駄目になった後の世代と関わると、とても不愉快に感じることが多い。

しかし、同じ資本主義の下、日本だって、競争原理を無用に当てはめすぎて、よくない方向に進みつつあるのかもしれないことは否定できないだろう。(実は、この「競争原理」と呼ばれているものは、その昔(100−200年ほど前?)に流行った「進化論の曲解」に他ならないが。)とはいえ、日本の大学に限れば、まだ英国の現況ほどは悪化していないと思う。「アカデミア」はまだ死んでいないと思うし、崩れていても復活は可能な範囲だと思う。英国にもかつてあっただろうが、現在は捨てられてしまって、それでいてまだ日本に残っているのであれば、そこに行ってみたいと、まともな学者ならぜったいに感じるはずだ。

4月1日といえば、最近は東京で桜の散る頃なんだろうか? 先日、東京の某大学より准教授のポジションのオファーが来た。英国に比べれば多少なりともアカデミックな雰囲気の残る日本の大学で働けることになるのはとても嬉しいことだ。(よく考えると、日本で定職について働くのは初めのことで、いろいろ戸惑うこともある。例えば、90分の講義も今はまだ長く感じる。)

それでも、ヨーロッパでやりたい事はまだまだたくさんあるのは確かだ。これからは、共同研究の形で「訪問者」として英国と関わることになろう。特に、この国の夏は本当にすばらしい!(とはいえ、気候の変化があまりないので、ひと月もいたら飽きるけれど。)

2008年12月24日水曜日

Steven Chuの最近の動向

Physics World April 2008号に、Steven Chuの最近の動向についての記事があった。彼の経歴に沿って、彼の興味がどのように変遷してきたかを紹介しながらの解説で、読みやすく分かりやすい文章だった。

1948年セントルイス生まれ。両親はともに中国からの移民で、MITで博士号を取った秀才同士。Chuの兄は幼少のころより有名な秀才でプリンストン大学へ進んだ。さらに、従兄弟のうち二人はハーバード大学にいったという。ここまで書くとしつこいくらいの秀才の家系の出だったようだが、しかし、本人はというと、大学までは鳴かず飛ばずで、大学院でバークレーに入った辺りにようやく才覚が目覚め始める。きっかけは、それまでの数学や理論物理といった理論系の分野への興味が薄らぎ、実験物理に転向したことであった。バークレーに残ってポスドクをしていた時、大学からAssistant professorのポジションをオファーされたが、それを蹴ってベル研へ就職。ここで10年間レーザー冷却の基礎実験に携わり、後にノーベル賞受賞へとつながる業績を残す。30歳から40歳になるまでの時期である。ここで、思い切った転身を更に図る。レーザー冷却のテクニックを生物物理学へ応用する研究を始めたのである。この際、スタンフォード大学へ異動した。1997年にレーザー冷却でノーベル物理学賞を受賞したが、スタンフォードにいた時は、実はその当時物理のフロンティアであった超低温下のボーズ気体の研究には手を出していなかったことになる。数年前からLBNLの所長に就任し、バークレーに戻る。細かい生物物理のテーマに手を染めつつも、環境問題の解決を目標に、人工光合成の研究など、巨大プロジェクトを統括しているとのこと。平日は所長としての仕事に忙殺されるため、週末に自分の研究をするらしい。必然だが、家族とゆっくり過ごす時間がないのが残念と宣う(そりゃそうだ)。

Steven Chuは、悪く言うと「単細胞」というか、いわゆる理系あたまの思考をする。つまり、ものごとをつねに単純化して考える。物理の研究にはこのやり方はとても有効なのは認める。しかし、深刻な社会問題を解決しようとする巨大な組織の長として、しかもそのための超大型プロジェクトの最高責任者としては、簡略化しすぎたものの考え方を押し進め過ぎではないか?という危惧を感じる。とりわけ、環境問題に対する彼の楽観的態度にはちょっとした違和感を感じる。「科学を総動員すればかならず解決できる」という、数年前の環境問題の国際会議で発言していた彼の言葉は、人類が何度も聞いてきた非真的な言葉だと思う。Chuはマンハッタン計画とだぶらせて考えているようだが、オッペンハイマーは文学や歴史など人文系学問にも精通していた。頭脳明晰というだけでなく、人間の非線形な部分にも多少は気のつく物理学者だったと思う。

成功し続けてきた男には恐怖の2文字はないのかもしれない。確かに、WarwickでSteven Chuの講演を聞いたとき、天才だと思った。しかし、挫折や失敗を乗り越えてきた人間の立場から見ると、環境問題に関しては彼ですら転ける可能性が大なのではないだろうか?Chuが失敗した時のショックはあまりに大きすぎるであろうから、多くの人が脱力してしまうだろう。故に、今からバックアップのプランの用意はしておかねばなるまい、そしてそれが必ず役に立つ日がくるような予感がしてならない。環境問題はそれほど根の深い、恐ろしい問題のような気がしてならない。オッペンハイマーは原爆の閃光をみて成功の喜びの直後に、初めて恐怖を感じたという。彼ですら、物事を単純化しすぎていたのであろう。